「院長の独り言」第11回、第13回で気圧の急激な低下や低温をきっかけに心房細動発作が多発することを示しました。心房細動の原因としては、心臓弁膜症を始めとする様々な心臓病やバセドウ病(甲状腺機能亢進症)などがありますが、それ以外にも何も病気がないのに心房細動は起こります。老化も一因ですが、過度な飲酒、疲労、睡眠不足などが関わることも判っています。ご自分で原因を見極めて、それを正すことで発作が予防できるのならそれに越したことはありません。そんな中での「心房細動発作も気象病?」で、今迄はっきりしなかったご自分の発作の原因が納得できて安心感を覚える方もおられます。天気を自分で変える訳にはいきませんが、発作が出そうな天候変化を事前に察知することで、予め予防薬を頓服で飲むことも可能になる筈です。
その前段階として、なぜ気候変化が心房細動発作を起こすのかを理解したいと思います。頭痛の領域で詳しく調べられていますが、自律神経、すなわち交感神経と副交感神経(迷走神経)のバランスが関係しています。気圧に関しては、内耳にあるセンサーが気圧変化を感知し、前庭神経を介して自律神経のバランスをとるようにしています。気圧が下がると副交感神経が働いて血管が拡張します。その変化を補うために交感神経が働いて血管を収縮させるので、一般的には気圧低下は交感神経系を緊張させると考えられています。
この知見を心房細動に当てはめますと、交感神経系の緊張によって心房細動の引き金とされている心房期外収縮が増加することが考えられます。実際、心房細動発症に先行して期外収縮による動悸を訴えるケースが多くあります。これに加えて前述の様に気圧低下に伴って副交感神経系も緊張すると、さらに心房細動が起き易い状態になります。
少し専門的になりますが、心房細動の起きるメカニズムは「電気的興奮の微小旋回」とされています。心房を取り囲む心筋(心房筋)の中で、毎分400~500回の細かい複雑な電気の旋回が生じ心房興奮を起こすのです。通常では余分な興奮が起きない様に、心筋には「不応期」が設定されていて、ある間隔以下の短い電気刺激には心筋は反応しません。「心房筋の不応期短縮→微小興奮旋回→心房細動」の一因が副交感神経緊張なのです。副交感神経の神経終末から分泌されるアセチルコリンの働きで、心房筋の不応期が著しく短縮した状態で「電気的興奮の微小旋回」が誘発され、心房細動が発生するのです。
さて、どうしたらこの心房細動発作を予防できるでしょうか?
図には「院長の独り言」第13回で紹介した患者さんが作成くださった、発作と気圧の関係の一部を示します。横軸は日付で(2024年2月2日~19日)、ご自分で取得した気象庁の気圧データが赤線で、心房細動発作は黄色の帯で示されています。2月16日(7:00)と19日(19:00)の2回の発作に気圧の低下が先行しているのが判ります。16日の発作では、気圧が最低値を示した前日22:30から発作が起きるまで8時間半かかっています。この間に、前述した副交感神経、交感神経の緊張が生じ、心房内の微小興奮旋回が発生して心房細動に至るものと考えられます。19日では、気圧が急降下する途中で発作が生じていますが、7:30の時点で予測できたかもしれません。気圧が下がりかけた時点で、心房期外収縮(心房細動の引き金)を抑えるか、アセチルコリンによる不応期短縮を抑えれば、心房細動発生を未然に防げる可能性があります。実際にそういう薬(抗不整脈薬)が利用できるのです。これまでは発作が起きてから薬を頓服で飲んで、なるべく早く発作を止めようという治療法でしたが、こうすれば発作を未然に防げるのです。期外収縮をドキドキ感じる方ですと、その時点で薬を飲む、あるいは、気象庁から異常(特に1,000hPa以下)に気圧が下がる予報が出た際に飲む、という方法でうまくいく可能性があります。
昔から”Pill in the Pocket”という言葉があります。これは、発作が起きた際にポケットに忍ばせておいた薬を飲んで治す「頓服治療」を意味しますが、今後は「予防的頓服治療」の意味にも使われるようになるでしょう。すでに外来診療では実践していますが、早朝に発作を繰り返す方や、前夜の飲酒が過ぎた翌朝に発作が出る方には、就寝前に特効薬を飲んでもらうことで発作予防ができる事はよく経験されます。それを気象病にも応用すれば、発作が起こりやすい時だけ、事前に効果を確認しておいた抗不整脈薬を頓服してもらいます。薬には副作用もありますし、常用することを避け、標的を決めてピンポイントで服薬して予防する治療法は大変有望なのです。気候変動さえ予知できれば発作を予防できる方が沢山いらっしゃるのではないかと思っています。
ただし課題がないわけではありません。この図で、前半の4回の発作は気圧の大きな変化なしに生じています。第13回の「院長の独り言」で記載したように低温が原因と思われる発作もあるのです。2月2日から14日までは連日5℃以下の寒さでした。特に7日は零下でしたし、8~10日も2℃以下でした。かといって、この期間中でも連日発作が起きているわけではありません。外出時の防寒に気をつけたり、暖かい家の中で過ごすなどで発作が抑えられていた可能性もあります。特に寒い日の外出前に頓服薬を飲んで行くのも一法でしょう。
心房細動の診療には、患者さんと医師との密な連携が必要ですが、気象データを生かす努力も今後は必要になります。最近の診察室では、患者さんと顔を突き合わせながら、一月間の発作の様子を気象データと一緒に振り返る事に、かなりの時間を割いています。