小川聡クリニック

院長の独り言

第8回不整脈患者さんに知っててほしい豆知識
〜CAST、Sicilian Gambit〜

今でこそ20種類以上の抗不整脈薬が手元にあり、個々の患者さん、不整脈の種類ごとに使い分けられ、安全かつ効果的な治療が可能となってます。私が医師になった1970年には2〜3種類しかなく、どんな不整脈にも使う薬は同じでした。特に、心房細動にはキニジンが唯一無二の薬剤でした。キニジンの原末はインカ帝国時代のインデイアンが解熱剤として使っていたとの話が残ってるくらい古い薬で、心房細動に最初に使用されたのは1914年という記載があります。卒業当初、私も患者さんに使った経験がありますが、治療効果は強力でしたが、造血障害を含む重篤な副作用が多く、とても使いこなすまでにはいきませんでした(現在は代替薬として、使いやすいシベノールやリスモダンが頻用されてます)。

CASTとは?

そんな不整脈治療の現場で、世界中を震撼させた研究成果が公表されのは1989年のことでした。CASTという名前は、この世界で働く者にとって一生忘れない衝撃を残しました。Cardiac Arrhythmia Suppression Trial(心臓不整脈抑制試験)の頭文字で、米国で実施された臨床試験でした。不整脈を治してくれると大きな期待を持たれた新薬が、不整脈を逆に悪化させて寿命を短くする結果が明らかになったのです。

図1

当時欧米では、心筋梗塞にかかった後で心室期外収縮が多く出る患者さんは長生きしないと言われてました。そこで、開発されたての強力な抗不整脈薬で心室期外収縮を治療できれば長生きさせられるのではないかという仮説のもと実施された試験でした。確かにこれらの薬(エンカイニドとフレカイニド)は期外収縮を効果的に抑えてましたので、飲み続けてもらいました。しかし、結果は予想に反して、偽薬(プラセボ)を飲んでもらった群よりも抗不整脈薬で治療した群の方が生存率が低い事が判明し、試験そのものも1年足らずで打ち切られました。本来は、オレンジの線とブルーの線が逆でないとならなかったのです!ちょっと専門的になりますが、心筋細胞の細胞膜にあるナトリウムイオンチャネルを強力に抑えて不整脈を止める薬剤(昔の分類でIc群薬とされます)を、心筋梗塞などで心臓の弱った患者さんに使用すると、心臓をさらに弱め、心室細動という重篤な不整脈を引き起こして突然死させる(催不整脈作用と呼びます)可能性があることが明らかになった試験です。

CASTの教訓

この結果を見た一般の医師の間で「抗不整脈薬は危険だ」という誤ったメッセージが駆け巡りましたが、一方ではより安全な抗不整脈療法が議論されるきっかけとなりました。事実、CASTで使用されたフレカイニドは、日本でも臨床試験が実施されてその有効性が確認され、1991年8月に上梓されました(商品名タンボコール)。これと同種同効のサンリズムが承認されたのも同時期の1991年5月でした。いずれも、心房細動をはじめとした不整脈治療で今日強力な武器になっています。薬の副作用をきちんと認識して、患者さんの病状を見極めた上で処方すれば、安全に使用でき、最大の効果を引き出せるのです。

CASTの遺した大きなうねり
〜Sicilian Gambit会議〜

その後の私の生き方に大きな影響を与えたシシリアン・ガンビット会議が開かれたのも、まさにこのCASTがきっかけでした。世界中を混乱させたCAST後の不整脈治療のあるべき姿を議論するために、生理学や分子生物学などの研究者や不整脈の臨床医20数名がイタリア・シシリー島のTaorminaという港町に集結して最初の会議がもたれたのが1990年でした。CASTの成績が公表された翌年でした。その後、2000年までほぼ3年ごとに計4回の会議がもたれ、我が国の抗不整脈薬ガイドライン策定にも大きな影響を与えました。私にも第3回会議から招待状が届くようになり、東京医科歯科大学の平岡昌和教授とともに参加させてもらいました。

Sicilian Gambit会議の名前の由来は?

図2

シシリー島で開かれたので「Sicilian」は分かりますが、「Gambit」とは何でしょう? Gambitは、チェスの序盤での戦略的な一手を指す「Queen’s Gambit」に由来します。この会議での議論が、今後の抗不整脈療法を大きく変える戦略的一手になるという参加者の気概を込めて付けられてます。こういうところは外人のセンスで、流石と思います。

翻訳本

図3

1993年第2回会議の内容は書籍にまとめられ、私はその日本語訳を依頼されました。個々の不整脈への抗不整脈薬の使い方を論理的に示すもので、翻訳しながら、まさに「目から鱗」で、これからの不整脈治療のバイブルになると感じました。イタリアの地図が印象的な表紙です。

不整脈の薬物療法ガイドライン策定への道のり

私はSicilian Gambit会議に参加しながら、日本心電学会の不整脈診療の専門家の先生方と「抗不整脈薬ガイドライン委員会」を立ち上げ、さらに1997年に日本循環器学会に「Sicilian Gambitに基づく抗不整脈薬選択のガイドライン作成」班を設置し、ガイドライン作成に着手しました。以下は班員リストです。

班長:小川聡  (慶應義塾大学医学部内科学)
班員:相沢義房 (新潟大学医学部内科学第一)
   井上博  (富山医科薬科大学医学部内科学第二)
   大江透  (岡山大学医学部循環器内科学)
   笠貫宏  (東京女子医科大学循環器内科学)
   加藤貴雄 (日本医科大学内科学第一)
   児玉逸雄 (名古屋大学環境医学研究所)
   杉本恒明 (関東中央病院)
   橋本敬太郎(山梨医科大学薬理学)
   平岡昌和 (東京医科歯科大学難治疾患研究所)
   三田村秀雄(慶應義塾大学医学部心臓病先進治療学)

Sicilian Gambitの論理的な治療法選択の考え方は、日本での不整脈薬物治療ガイドライン策定に大きな影響を与え、現在に至るまでこの理念は息づいています。このリストの先生方は、当時も今も不整脈領域のトップリーダーです(所属は当時のもの)。

第4回Sicilian Gambit会議会場

図4

アメリカでも有数の別荘地、ボストン郊外のCape Codのホテルを借り切って第4回会議が4日間開催されました。Kennedy家の別荘もこの近くにあります。中央の三角屋根の建物が会議場で、参加者にはコテージが1軒づつ与えられました。会議の合間にはリクリエーションも用意され、楽しい時間を過ごせました。第4回は「心房細動」がメインテーマで、当時の最新の知見をもとに議論され、その後の治療法確立に大きな影響を与えました。

Sicilian Gambit会議の発起人Rosen先生と

図5

Sicilian Gambit会議を通じて懇意となったコロンビア大学薬理学のMichael R. Rosen教授とのツーショット。第4回会議が終了後の2001年に開催されたNASPE(現在のHRS不整脈学会)にて(小川はまだ55歳でした!)。

おわりに〜「心房細動」と診断された患者さんへのアドバイス

CASTの教訓、Sicilian Gambitで提唱された考え方、さらにそれに基づいて策定された我が国の心房細動ガイドライン(薬物療法)を良く学び、抗不整脈薬の限界も熟知した不整脈専門医に巡り合うことを望んでやみません。その上で、risk-benefitに基づいて最新のカテーテルアブレーション治療の適応を決めてもらえる医師を見極めてほしいと思います。最近では、Apple Watchによる心電図記録アプリの普及もあり、動悸発作時に心房細動の検出されるチャンスが増えています。健康診断で偶然見つかる無症候性心房細動を含めて、診断と同時に「直ぐカテーテルアブレーションが必要です」と、担当医から説明を受けて、「本当にそうなのですか?」とセカンドオピニオンを求められるケースが急増しています。私自身が、「灼かずに治す心房細動」を標榜していることもあり、駆け込み寺になってるのかも知れません。そういうケースには、病歴をよく聞き、簡単な検査から、血液をサラサラにする薬剤(抗凝固薬)の必要性、抗不整脈薬で治る可能性を判断します。そうすると大多数の方はアブレーションは現状では不要と判断されます。アブレーションに関わる重篤な合併症は皆無ではなく、本当に必要かどうかの判断は慎重であるべきです。