私が卒業して4年目の1973年のことです。栃木県のとある国立病院にフレマン出張してる時に経験した患者さんです。体格も屈強な26歳の若者が、数日前からの背中の激痛、胸部痛、呼吸困難を訴えショック状態で入院してきました。重篤な心不全兆候を認め、心臓を聴診すると「タカタッ・タカタッ」と疾走する馬の蹴るような足音(奔馬調律)とともに、「シュシュポ・シュシュポ」という雑音(機関車雑音:locomotive murmur)が聞こえました。前者は心不全の時に聴こえる典型的な心音で、後者は心臓が収縮・拡張を繰り返す時に心臓を包んでいる心膜に擦れて出る雑音で、心膜摩擦音と呼ばれます。心膜の炎症が起きている証拠です。背中の打診をすると、左側に大量の胸水の貯留が疑われました。胸部レントゲンを撮ると、胸水に加えて胸の中心部の縦隔が著明に拡張しておりました。当時は心エコー検査もCT検査もなく、数日前からの症状とこれだけの情報から、ショックを伴った「胸部大動脈瘤破裂」と診断しましたが、何もできないまま、目の前でみるみるうちにという感じで亡くなってしまわれました。
原因不明のままの急死だったため、ご家族の同意を得て病理解剖を行いました。当時は解剖には主治医も必ず立ち会いましたが、自分としても納得できないまま済ませたくない想いもあり、メスを持たせてもらって立ち会いました。胸を開いて真っ先に目に飛び込んできたのは、レントゲンでも示されていた縦隔の異常で、血液で充満していました。大動脈瘤破裂の所見と矛盾しない所見でした。心膜の内側にも大量の血液が貯留し、聴診で疑われた心膜炎の存在が確認できました。やはりそうだったか、と納得しつつ、血液を除去しながら大動脈にたどり着き、その大動脈を切開して内側を見た瞬間、病理解剖医共々凍りつきました。
キラッと光るものが目にとまりました。その部分の大動脈には1cm以上の裂け目が入り、縫い針のような鋭い魚骨が内側に突き出ていました。魚骨は2.5cmもの長さがありました。その部位には食道が並走していますが、対応する食道には潰瘍ができていました。
口から飲み込んだ魚の骨が食道に刺さり、時間とともに徐々に奥深く入り、ついには食道を突き破って、隣の大動脈に突き抜けて大出血を起こしたと判断できました。解剖終了後にご家族にその骨を見てもらいながら、状況をご説明しました。ところがその場で、「実は・・」と話し始められたのです。入院する1週間前の食事中に(鯉のあらいだったそうです)、「骨が刺さった」と叫び、喉をだいぶ痛がっていたとのことです。翌日に近所の耳鼻科医を受診して診てもらいましたが、見える範囲には何も異常なしとの診断だったようです。それから2−3日のうちに急激に状態が悪化したことになります。ご家族もまさか、その後の背中の痛みや胸の痛みと魚の骨を呑み込んだこととの関連性を予想だにされなかったでしょうし、入院時にそのことを伺うことはできませんでした。考えてみれば健康な若者で、動脈瘤を持っているような先天性の病気(例えばマルファン症候群)を思わせる方ではありませんでしたし、仮りに病状が酷似していたからといって「動脈瘤破裂」と判断したことに悔いが残りました。ただ、この経験を教訓に、骨を飲み込むことの最悪の転帰としてこういう事態もあり得るんだということを胸に刻んでいます。