小川聡クリニック

院長の独り言

番外編〜留学時代の思い出(1):在郷軍人病との関わり〜

私が不整脈の研究員として米国ペンシルベニア州フィラデルフィアに留学したのは、1975年7月のことでした。娘がまだ3歳でしたので、まずは単身で渡米し住居を見つけてから家族を呼び寄せる予定でした。旅行会社から米国東海岸の古都フィラデルフィアの一番有名なホテルを予約していきました。そのホテルは荘厳な建物で見るからに古めかしく、米国で最も古い由緒あるホテルとのことでした。1ドル360円の時代でしたが、1泊何万円もする高級ホテルだったと記憶しています。留学先のボスに連絡したところ、ボスはこれから夏休みでひと月留守にするのでと、ペンシルベニア大学のキャンパス内にあるInternational House(留学生用で、結構広くて自炊もできる立派な施設でした)に部屋を取ってくれました。そのおかげで、そのホテルからはすぐにチェックアウトができたのですが、私にとってそれが幸運だったのです。後から考えると、そのホテルは日当たりも悪く、なんとなく空調もカビ臭かったと覚えています。

 

それから1年後のことです。留学生活にも慣れてきた時でしたが、米国全体を震撼させる大事件がフィラデルフィアで勃発しました。フィラデルフィアは1776年7月4日に独立宣言の交付された街で、Independence Hallに展示されているLiberty Bellが有名です。丁度1976年が建国200年に当たるので、様々な記念式典が催され、街中が賑やかな200年祭でわいていました。そんな最中の1976年7月、米国在郷軍人の総会が、私が渡米してはじめて滞在したあのホテルで開催されました。大事件とは、在郷軍人会参加者やホテル周辺の通行人などに原因不明の重症肺炎が集団発生したのです。患者が221名、そのうちの29名が死亡したことが報告されました。当初は細菌テロではないかとの噂が飛び交い、フィラデルフィアの街中は騒然となっていました。最終的には米国疾病管理センター(Centers for Disease Control、CDC)(今回のコロナ騒動でCDCの名前が一躍脚光浴びましたが、当時からも有名でした)の調査によって、患者の検体から未知の菌が発見され、感染症だと判明しました。米国在郷軍人会(American Legion)の名を取って,Legionella pneumophila(在郷軍人病菌;通称レジオネラ菌)と命名されました。元来土壌中に常在する菌がホテルの冷却塔に舞い込んで繁殖し、その冷却塔からの循環水の飛沫が、近くのエアコンの空気取り入れ口から吸引され、各部屋のエアコン吹き出し口から散布されて、多くの人々がレジオネラ菌の暴露を受けたことが分かりました。

 

もしかして、私の1年前のホテル滞在がもう少し長かったら、日本人第1号の患者になっていたかと思うとぞっとしました。その名門ホテルは、後年この騒動が原因で倒産してしまいました。1978年に私は帰国しましたが、その後日本でもレジオネラ菌感染者が散発しておりました。若いドクターが「レジオネラ肺炎の患者さんです」とプレゼンしてくれても、最初は聞き慣れない名称なので、「何?」と聞き返してしまいました。それが、あの「Legionaires’pneumonia」の事と判った時には大変懐かしく留学時代の記憶がよみがえりました。正しい英語読み(lìːdʒənέər)(リージョネア:結構難しい発音です)を、日本ではレジオネラと訳していたのです。

このレジオネラ事件が、予期せぬ出来事がいろいろ続いた私の波瀾の米国留学生活の始まりの1ページでした〜番外編(2)に続く