小川聡クリニック

院長の独り言

第3回「心音の聴き分け〜「タン、タ・タ」それとも「タ・ラ、タ・タ」?
〜聴診の達人はシーラカンス?〜」

大動脈弁狭窄症:「タン(第1音)、タ・タ(第2音)」ではなく「タ・ラ、タ・タ」と聞こえることもあります。60歳以上の高齢者でよくあるのですが、第1音があたかも分裂しているように二つの音が聴こえますが、実際には第1音の直後にもう一つの音、大動脈弁開放音が出てるのです。「タ」は第1音で、「ラ」が大動脈弁開放音です。若くて健康な大動脈弁が開く時には音は出ませんが、歳をとって弁が固くなると音を出すのです。老化の証でもあり、残念ながらこの数年、私にも出ています。第1音と大動脈弁開放音との「タ・ラ」の間隔は平均0.02秒です(0.02秒というのは、ヒトが二つの音として聴き分けられる限界です)。この大動脈弁の硬化が進行すると、3枚ある弁葉が癒着して開放に障害が起きます。左心室が収縮して、勢いよく大動脈に血液が出て行く際に、狭くなった弁を無理やり押し広げるように高速で振動させるので、「ブーン」という雑音が生じます。これを収縮期駆出性雑音と呼びます。程度がひどくなってくるほど雑音が大きく、収縮期全体に続きます(タ・ラ、ブーン、タ・タ)。
これが大動脈弁狭窄症です。

僧帽弁狭窄症:リウマチ性弁膜症の一つで僧帽弁狭窄症があります。僧帽弁の2枚の弁葉が炎症のために癒着し、弁口が狭窄する病気です。肺から左心房に戻ってきた血液が左心室に流入する場所にある弁なので、これが狭窄すると左心室に吸い込まれる血流が障害されて左心房が腫れ、肺うっ血が生じる弁膜症です。正常の僧帽弁からは開放音は聞こえませんが、狭窄した弁が開く時には大きなパチーンという音が聞こえます(僧帽弁開放音)。ちょうどパラシュートが開いてパーンと張った時に出る音を想像してみてください。「タン、タ・タ・タ」と聞こえます。最後の「タ」がパチーンと開く僧帽弁開放音です。大動脈弁が閉じた時に出る第2音(最初のタ)からこの開放音までの間隔が、狭窄症の程度を示す指標になることが昔から分かっています。狭窄が重症になって弁口面積が小さくなるほど、この間隔が狭くなります。今では心エコー検査で僧帽弁の弁口面積を正確に測定できますが、聴診器だけでもそれが、0.06秒なのか0.04秒なのか、それ以下なのかである程度予測できるのです。ついでですが、僧帽弁開放音に引き続き、狭い僧帽弁の弁口を通って左心房から左心室へ流入する血流によって雑音が発生します。心音とは違う低調な音で「ゴロゴロゴロ」という昔の荷車の車輪が回る音のようだということで「輪転様雑音rumbling murmur」と呼ばれます。この雑音をこれだと診断できる様になれば一人前とされました。「タン、タ・タ・タ」と4つの音を聞き、その大きさ、間隔を判断した上で、最後の「タ」の後に出るrumble雑音まで聞き取る力が要求されます。老人性(?)の高音難聴気味の私にとっては、この低調な音の聞き取りは命です。今でも最も得意としている雑音の一つです。

エコノミークラス症候群:第2音(「タン、タ・タ」のタ・タです)については、その二つの音のどちらが大きいかも判断しないとなりません。普通は先に出る大動脈弁閉鎖音の方が大きいのですが、エコノミークラス症候群で呼吸を苦しがっている患者さんでは、後ろの方の「タ」が大きく響くようになり、「タン、タ・ターン」と聞こえます。かつ分裂する間隔が狭くなってきて、ほとんど同時に聞こえるようになることもあります。肺高血圧症の兆候です。動いた時に息苦しい、と訴えてこられた患者さんでこの所見を聴けば、真っ先に重症なエコノミークラス症候群を疑えます。第2音の挙動だけでも色々な病気の診断の手がかりとなるのです。

恩師の中村芳郎先生は、このような「タン、タ・タ」とか「タ・ラ、タ・タ」とかを上手に口(声)で表現され(ちょっと英語訛りがあるところが魅力的でしたが)、我々の聴診への興味を高めてくださりました。私も慶應時代には、中村先生の真似をして後輩たち(後世)にそれをなんとか伝えようと努力した記憶があります。我々の世代には、そんな中村先生を白亜紀に絶滅したとされる伝説の古代魚「シーラカンス」に喩える(たとえる)者もいました。もちろん最大限の敬意を含んでのことでしたが、ご本人はそれを大そう気に入られて「自分もシーラカンスと呼ばれるような古い人間になってしまったよ」と嬉しそうにされていました。その中村先生は私より一回り以上卒業年度が上なのですが、いまだにアメリカの心臓病の教科書の新版が出ると誰よりも先に入手されて、前版とどこが変わったかを見つけるのを楽しみにされる勉強家です。私も聴覚は年齢相応に減退しているのですが、機会があれば聴診でお手合わせ願いたいと思っているところです。