小川聡クリニック

読んで役立つ院長の医学講座 〜圧倒的な臨床経験と知識に裏打ちされた院長からのメッセージです〜

第2回「起床時にベッドの中で胸が締め付けられた」

高血圧と高脂血症で時々クリニックに相談に見えていた65歳の女性です。その方からある日の昼下がりに電話をいただきました。「今朝8時頃、ベッドの中で胸の中心あたりが重苦しい感じがして目が覚めました。でも、そのままにしていたら10分ほどで自然に治ったので、そのことも忘れて普通に生活していました。お昼過ぎに主人と散歩に外出し、信号で横断歩道を小走りに渡ったところ、胸の中央が締め付けられるような、朝と同じ重苦しさがまた起こりました。立ち止まっていたら、程なく「すうっと」治ったので、そのまま歩いて帰宅しました。今はなんともないのですが、放っておいて宜しいでしょうか?」。それまで一度も感じたことのない症状とのことでした。加えて、この1週間は仕事が超多忙で、ストレスがたまっていたとのことでした。その相談で胸騒ぎを覚えた私は、今すぐの来院を指示し、30分ほどで来ていただけました。

電話での4−5分のやりとりで、真っ先に考えたのは「不安定狭心症」でした。これは、近いうちに急性心筋梗塞を発症する可能性の極めて高い病態で、一つ間違えると発症した時に命取りになりかねません。「不安定狭心症」は、心筋に酸素と栄養を送る冠状動脈のどこかが閉塞する寸前の状態です。1. 初めて起きた狭心症、2. 安静時に起きる狭心症、3. 従来から抱えている狭心症の程度や回数が急に増えてきた、などから不安定狭心症を考えます。もともと潜在的に進行していた動脈硬化による冠状動脈の狭窄が、一気に進行したり、激しいストレス下で動脈硬化の表面が破れ(プラーク・ラプチャーと呼びます)、そこに、急速に血栓が形成されて血流を遮断する状態です。この過程では、血栓が詰まったままになれば急性心筋梗塞になりますが、自然に血栓が溶解して血流が再開することもあるので、症状が改善します。それを繰り返しながら完全に詰まってしまう状況に陥ります。最初は、布団の中での安静時の症状で始まり、一旦良くなったあとに、今度は小走りした時に再発した、という経過はまさに不安定狭心症で冠状動脈が詰まりかけている状況が想定されます。

このように、私の長い臨床経験から、問診だけで迫り来る心臓の危機を察知しました。来院された時はすでに症状は治まってましたが、すぐに記録した心電図の顔つきから確証が得られました。僅かな異常で、中年女性では正常といってよい程度の異常でしたが、問診の結果と併せると、その所見だけで十分でした。その上、電子カルテに残っていた1年前に記録した心電図と比較すると、その異常は新しい変化でした。3本ある冠状動脈の中で心臓の最も広い範囲を栄養している「左前下行枝」に危機が迫っている兆候が見て取れました。心臓超音波検査を施行したところ、その血管の領域の心筋の収縮性が低下しており、その日の朝とお昼に起きた胸の症状が、左前下行枝に障害が起きたためだという確証が得られました。しかも異常のある心筋の広がりから、左前下行枝のかなり根元の方が詰まりかけていることが示唆されました。ここが完全に詰まって血流が途絶えると、広範囲の心筋梗塞が発症し、その瞬間に命を落とす「突然死」の可能性もあります。緊急治療が必要と判断し、三田病院に勤務する慶應の後輩の専門医にその場で電話で受け入れを要請し、1時間後には緊急冠動脈造影検査を施行してもらう事ができました。予想した部位に内腔の90%以上を閉塞する動脈硬化性狭窄が発見され、直ちにバルーン拡張術とステント挿入が行われ、事なきを得ました。二日後には退院され、元気に仕事に復帰できました。

今回の教訓は、1)電話でのやりとりで不安定狭心症を疑えた事、2)直ちに来院してもらえ簡単な検査でその確証を得た事(発作直後だったので、心筋が一度酸欠に陥ったこと示す兆候がまだ心電図に残ってましたが、翌日には消えていたでしょう)、3)信頼できる専門医による緊急治療が成功し、命を救えた事です。的確な問診から重篤な病気を疑い、簡単な検査での僅かな異常所見から次なる治療への道筋を立てる事の重要性を実感した患者さんでした。